ドーナツを売る
うそをつくことね、ドーナツを売るっていうの。彼女の切り揃えた前髪のむこうで、おくぶたえのふたつの瞳がじっと僕を睨みつけた。睨みつけた、と感じたのはきっと、僕のほうにうしろめたさがあったからだ。彼女の睫毛がハニー・チュロのようにあやうい曲線を描いていること、そうあるように毎朝鏡を覗いていること。理解はしていても実感はないのは、僕が七人のこびとたちのななつの心臓をあわせたよりももっとずっと浅はかに彼女を愛しているからで、熱い珈琲で満たされたカップの底の底へとはてしなく盲目になっているのである。
「誰が、いうの?」
ハニーフレンチを指先で千切りながら、できるだけしっとりと、そう声を掛けた。しっとり、は、そのふわふわの春の隙間に吸収されて、蒼硝子の揺れる彼女の耳朶に届くまえに重力に落ちる。彼女はすこしだけ、顎を上げた。彼女の喉が、僕はうつくしいと思うし、鎖骨のかたちを、まるいブラウスの襟を、同じように慈しんでいる。
「ルーマニアのひと」「ルーマニア?」「そう」「ルーマニアに、友達がいるの」「違う」「恋人?」「違う。ルーマニアの、ことわざ」彼女はそこでまた顎を下げて、代わりに眉を上げる。「ものしりだね」珈琲カップを傾けて笑う。それが彼女の機嫌を損ねることを、僕は知っているのだ。たぶん、だけれど、それを、損ねたいのだと思う。さとうのかけらがはらはらと、ソーサに落ちるように、繊細な彼女のしかくいかたちを、変えたいと希っている。浅はかだな、とまた考えた。浅はかだけれど治らない、それは林檎の毒のように僕に根付く難病なのだ。彼女はそれを、「せいかくがわるい」と言う。「きみは、せいかくがわるい」辞書のように綿密に、発音されるその声を、またいとしいと思って、僕はドーナツを口に含んだ。
「誰が、いうの?」
ハニーフレンチを指先で千切りながら、できるだけしっとりと、そう声を掛けた。しっとり、は、そのふわふわの春の隙間に吸収されて、蒼硝子の揺れる彼女の耳朶に届くまえに重力に落ちる。彼女はすこしだけ、顎を上げた。彼女の喉が、僕はうつくしいと思うし、鎖骨のかたちを、まるいブラウスの襟を、同じように慈しんでいる。
「ルーマニアのひと」「ルーマニア?」「そう」「ルーマニアに、友達がいるの」「違う」「恋人?」「違う。ルーマニアの、ことわざ」彼女はそこでまた顎を下げて、代わりに眉を上げる。「ものしりだね」珈琲カップを傾けて笑う。それが彼女の機嫌を損ねることを、僕は知っているのだ。たぶん、だけれど、それを、損ねたいのだと思う。さとうのかけらがはらはらと、ソーサに落ちるように、繊細な彼女のしかくいかたちを、変えたいと希っている。浅はかだな、とまた考えた。浅はかだけれど治らない、それは林檎の毒のように僕に根付く難病なのだ。彼女はそれを、「せいかくがわるい」と言う。「きみは、せいかくがわるい」辞書のように綿密に、発音されるその声を、またいとしいと思って、僕はドーナツを口に含んだ。