雪密室に猫と、蛸
上質な暮らしを描いたコミックが雪崩れてできる密室を解く
猫の手も借りたいけれどにくきゅうの踏み場もないよ爪たてるなよ
カップ麺のふたの上なら寒くないあなたのいない夜はひもじい
おまえ蛸飼ってるのかよ躾ろよ 靴ならべつつ悪態を吐く
洋服と洗濯物のあわいではひらたい爪がぼたんを外す
*****
洗濯物って、どこからどこまでが、洗濯物なんですかねえ。砂埃にまみれた「ベランダ用サンダル」をつっかけて、あたしは室内に届くようにすこし大きな声を出す。
ガスコンロを磨いていた先輩は真新しいタオルで丁寧に手を拭いてから、スマートフォンを取り出した。彼は律儀な人なので、わからないことはすぐ、調べる。調べたことはもれなく彼の教養になる。だから先輩は頭がいい。ばかで大雑把で部屋が汚いあたしとは大違いである。
「洗濯物。……洗濯を必要とするもの。汚れもの。また、洗濯したもの」
「ということは、洗濯する前もあとも洗濯物になるんですか」
「みたいだな」
「確かに脱いで籠に入れた瞬間も、洗って干して取り込んで、畳んでいるあいだも洗濯物ですね」
「お前、洗濯物畳むのか?」
ソファの上に積み上げられている服の山をちらりと顧みて先輩が云う。あたしは「たまに」と応えながら、しかしあたしの部屋に来た先輩が見兼ねて畳んでくれることのほうが頻度としては多いかもしれないな、と密かに思った。あたしの先輩は立派で働き者なのである。
「どっちも同じ洗濯物だから、って汚れたものと一緒にしていないだけ偉いと思いません?」
「そのレベルになったらさすがに縁を切る」
「先輩は綺麗好きだなあ」
のらりくらりと言いながら濡れたタオルをぱたぱたと振ってしわを伸ばしていく。しゃぼんの香りのむこう側で、顔をしかめる先輩の姿が見えた。綺麗な声で悪態の限りを尽くしながらも彼は、とっちらかったこの部屋に頻繁に足を運んでくれる。手のかかる後輩のことがなんだかんだかわいいのだろうと自分に都合のいい解釈をして微笑んだ。眼鏡についた水滴を拭って、スマートフォンをポケットに戻して、緩みかけたシャツの袖をまくり直す。その仕草をうすぐらい室内に見ながら、あたしもワンピースにハンガーを通す。
「つまり、あたしが着ているあいだは洋服で、あたしがすっかり脱いでしまったあとは洗濯物になるんですね。その境い目って、どこなんだろう? あたしがどれくらい半裸から全裸になっているかって話ですよね」
「阿呆か」
高尚な問題提起はたった三文字で一蹴された。綺麗好きの先輩は下品な話を好まないのだ。怒らないでくださいよ、と口癖になった台詞でいなしながら(先輩はすぐに怒るのだ)、あたしは先輩の白い爪の堅さを思い出す。寝間着のボタンにそれが触れると、かちり、と軽い音がする。コンロを磨くように事務的で、生真面目で、緻密に、やさしくそれを扱う彼の指が、あたしは好きだった。口角を上げるあたしを見咎めて先輩は、さっさと干せよと一喝する。怒らないでくださいよ。
猫の手も借りたいけれどにくきゅうの踏み場もないよ爪たてるなよ
カップ麺のふたの上なら寒くないあなたのいない夜はひもじい
おまえ蛸飼ってるのかよ躾ろよ 靴ならべつつ悪態を吐く
洋服と洗濯物のあわいではひらたい爪がぼたんを外す
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洗濯物って、どこからどこまでが、洗濯物なんですかねえ。砂埃にまみれた「ベランダ用サンダル」をつっかけて、あたしは室内に届くようにすこし大きな声を出す。
ガスコンロを磨いていた先輩は真新しいタオルで丁寧に手を拭いてから、スマートフォンを取り出した。彼は律儀な人なので、わからないことはすぐ、調べる。調べたことはもれなく彼の教養になる。だから先輩は頭がいい。ばかで大雑把で部屋が汚いあたしとは大違いである。
「洗濯物。……洗濯を必要とするもの。汚れもの。また、洗濯したもの」
「ということは、洗濯する前もあとも洗濯物になるんですか」
「みたいだな」
「確かに脱いで籠に入れた瞬間も、洗って干して取り込んで、畳んでいるあいだも洗濯物ですね」
「お前、洗濯物畳むのか?」
ソファの上に積み上げられている服の山をちらりと顧みて先輩が云う。あたしは「たまに」と応えながら、しかしあたしの部屋に来た先輩が見兼ねて畳んでくれることのほうが頻度としては多いかもしれないな、と密かに思った。あたしの先輩は立派で働き者なのである。
「どっちも同じ洗濯物だから、って汚れたものと一緒にしていないだけ偉いと思いません?」
「そのレベルになったらさすがに縁を切る」
「先輩は綺麗好きだなあ」
のらりくらりと言いながら濡れたタオルをぱたぱたと振ってしわを伸ばしていく。しゃぼんの香りのむこう側で、顔をしかめる先輩の姿が見えた。綺麗な声で悪態の限りを尽くしながらも彼は、とっちらかったこの部屋に頻繁に足を運んでくれる。手のかかる後輩のことがなんだかんだかわいいのだろうと自分に都合のいい解釈をして微笑んだ。眼鏡についた水滴を拭って、スマートフォンをポケットに戻して、緩みかけたシャツの袖をまくり直す。その仕草をうすぐらい室内に見ながら、あたしもワンピースにハンガーを通す。
「つまり、あたしが着ているあいだは洋服で、あたしがすっかり脱いでしまったあとは洗濯物になるんですね。その境い目って、どこなんだろう? あたしがどれくらい半裸から全裸になっているかって話ですよね」
「阿呆か」
高尚な問題提起はたった三文字で一蹴された。綺麗好きの先輩は下品な話を好まないのだ。怒らないでくださいよ、と口癖になった台詞でいなしながら(先輩はすぐに怒るのだ)、あたしは先輩の白い爪の堅さを思い出す。寝間着のボタンにそれが触れると、かちり、と軽い音がする。コンロを磨くように事務的で、生真面目で、緻密に、やさしくそれを扱う彼の指が、あたしは好きだった。口角を上げるあたしを見咎めて先輩は、さっさと干せよと一喝する。怒らないでくださいよ。